西遊基金とは

蘭医シーボルトは、外国人の居留が許された出島以外の地である鳴滝に「鳴滝塾」を開設し、西洋医学(蘭学)・自然科学等の講義を行っていました。また、幕末には日本初の西洋式近代病院であり長崎大学病院の源流とされる「養生所」が設立されました。このように異国との交流が盛んであった長崎には、日本各地から多くの若もの(医者や学者の卵)が、外国の文化・芸術、医学、科学技術などを学びにやって来ました。そして、この長崎への遊学を、あこがれを込めて「西遊(さいゆう)」とよんでいました。

司馬江漢、古河辰、吉田松陰、桃節山などが「西遊日記」と題して、当時の長崎を記録に残しています。

西遊基金(さいゆうききん)」は、長崎大学が出島を介した「勉学の地」としての誇りと「進取の精神」を受け継ぎ、地域の持続的発展から地球規模の課題を解決するための傑出した人材育成を目指し、本学独自の修学支援、教育・研究の幅広い支援を目的として開設した基金です。

学長挨拶

長崎大学長 永安 武

日頃より長崎大学の教育・研究へのご理解、ご支援を賜り誠にありがとうございます。

長崎大学は、江戸時代後期の1857年、オランダ人医師ポンぺ・ファン・メールデルフォールトと幕臣松本良順により実施された医学伝習に端を発し、1945年の原爆被爆という試練を経て、1949年に新制大学として設置されました。
また、同じく江戸時代後期、西洋からの最新の知見や技術を学ぶため、日本各地から多くの若者が大志を抱いて長崎に集まって来ました。当時、このことは憧れを込めて「西遊」と呼ばれており、この「西遊」を経験した若者たちが、近代日本の幕開けを担う原動力となったのです。

このような歴史と伝統を持つ地に拠点を置く長崎大学は、大学の理念・基本的目標を達成すべく、先進的な研究や学びを求める学生への継続した支援を目的に、2017年(平成29年)にこの言葉を冠とした「西遊基金」を創設しました。これまで多くの皆様に支援を賜りましたことを心から感謝申し上げます。

その後、2020年初頭に長崎大学は、人類と地球の抱える多様で相互に関連する諸課題の解決に向けて、学際的にその知を結集・想像し、国内外の諸機関と連携を図りつつ、プラネタリーヘルス(地球の健康)の実現に貢献する世界的“プラネタリーヘルス”教育研究拠点を目指すことを宣言し、その実現に向けて教職員・学生が一丸となって鋭意取り組んでいます。

皆様には何とぞ「西遊基金」の趣旨をご理解いただき、引き続きご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

基金の構成

学部・研究科等への寄附について

本学の学部・研究科等の学術研究及び教育研究の充実・発展等のために活用することを目的として、企業や個人の皆様からのご寄附を受け入れております。ご寄附をお考えの方は、下記サイトより各部局担当までお問い合わせください。

各部局寄附金受入担当一覧